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2009年08月16日

霊魂の存続証明(3)

前回までは、霊魂の存在を完全に照明することは非常に困難なこと、
また完全に照明されてしまうと却って不都合が生じるということ、
しかしながら、その一方で、霊魂が絶対にありえないという考え方もよくないのだということを述べた。

これでは矛盾しているではないか?
いったいどうすればいいというのだ?

そこで、再び、梅原氏の言葉から引用しよう。

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スピリチュアリズムの真理を科学的真理のように絶対的なものとして人類に強制はできないと言いましたが、またその必要もないんです。当面の戦略としては唯物論に対して五分五分の論拠を提供できれば十分だと思いますね。少なくとも唯物論の強制から免れさせて、個々の魂に選択の余地を与えれば上出来です。あとは個人の魂の責任と進化の問題になると考えています。人類全体が七分とか八分の割合でスピリチュアリズムの共通認識を持つようになったときは、人類全体として次の進化のためのイニシェーションを通過することでしょう。そしてそれがダメなときは当然退歩と破壊が予測されます。最近高まってきた人類の危機と破滅のあらゆる予言はこうした徴候の一方の面を表していると私は考えています。

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なるほど。
とりあえず、唯物論に対して、それは違うのかもしれないというぐらいの証拠を提供できればいいということなのだろうか。
そして、人類の魂が成長すれば、証拠の方もそれに応じて提供されるということなのだろうか。

また、霊界の存在はテレビなどのマスコミを通じて一変に広めるものではなく、一人一人時期のきた人から広めていく必要があるという理由は、ここなのだと思う。
テレビで安易に霊能番組など放送する危険性は、今更指摘するまでもない。

なお、上記対談の全文は、“東京スピリチュアリズム・ラボラトリー”の“梅原研究室”のページにも掲載されている。

スピリチュアリズム一問一答

しかし、個人的にはもうちょっと決定的な証拠がほしいと思っているのだが…

最後に、上記の対談ではないが、
『人間個性を超えて 個人的存在の彼方(G・カミンズ著 梅原 伸太郎 訳 )』
の巻末で、梅原氏が語っておられることについて紹介し、私なりのコメントを述べてみようと思う。

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 スピリチュアリズムの特色と使命は、なんといっても死後の個性の存続(つまりは肉体を離れた霊魂の存在)に強い証拠を与えることだと思われる。心霊研究と境を接しているところから見てもその辺に力点が置かれていることが分かるのである。異化に高次な霊的知識が述べられようとも、霊魂の存在が納得できなければそれら全ては砂上の楼閣となる。全ての高度な霊的真理を生かすも殺すもこの点にあるのである。単に霊的真理というだけではとうてい科学的真理や唯物論に退行することはできない。
 (中略)私はスピリチュアリズムの意義と使命を対した霊媒が日本中に何十人かいれば良いと思う。そうした人たちはその人の元へ行けば霊魂の存在について必ず納得のいく証拠を見せてくれる人たちである。そのような人々の集まった場所が各国に1カ所あれば、何時か世界は変わるであろう。なぜなら、何人たりともそこへ行けば確証が持てるというのであれば、疑問を持つ人があればそこへ行けば良いからである。霊魂存在の一点が納得できないために高度な霊的世界の認識に足を踏み入れることができないでいる人が多くいる。そのような人々にとってはそのような場所は福音である。のみならず、懐疑家であろうと、厳正な科学者であろうと、政府機関のものであろうと、またマスコミ関係者であろうとそこに行けば全て納得するというのであれば、やがて霊魂存在については社会の常識化し、唯物論には壊滅的な打撃を与えよう。

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各国に1カ所…
今の日本にそんな場所があるだろうか?
スピリチュアリズムの意義と使命を対した霊媒がいるだろうか?

昨今のスピリチュアリズムの動向を見ていて気になるのは、スピリチュアリズムが1つの信仰宗教のようになっていることだ。
スピリチュアリストの間で、「シルバーバーチの霊訓がすばらしい」という人は多いが、しかしそれ自体は霊魂を照明するものとはなっていない。
「それじゃぁ、どうしてシルバーバーチの霊訓が本当に霊界からのメッセージだといえるの?証拠はあるの?」
と問われて、きちんと答えられるスピリチュアリストがいったいどのぐらいいるのだろうか?
単に言葉がすばらしいとか感動するというだけでは、何の説明にもなっていない。
それは霊魂の存在が納得できてからいえることであって、それが納得できない人には何の効力もないのである。
故に、それを納得のいく形で示すのが、スピリチュアリストの役目なのではないのだろうか。

シルバーバーチを翻訳されている、近藤千雄氏が、『あの世」から帰ってきた英国の新聞王・ノースクリフ』のまえがきで述べておられる次の言葉が印象に残っている。

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  イエスの名言に「木はその実によりて知れる」というのがある。これは人物の本性は行ないを見れば分かることを言っているのであるが、これを文字通りに解釈しても同じ教訓につながると思う。つまり、果実を実らせるためには養分を摂取するための“根”があり、それを送り届ける “幹”があり、太陽の恵みを受ける“枝葉”があってこそである。
  私はこれまでその“果実”ばかりを翻訳・紹介し、“根”や“枝葉”に相当する部分は講演の席で“語る”程度で終わっていた。読者という“消費者”はそれでよいかも知れない。シルバーバーチからのメッセージを果実に讐えれば、その深い味を楽しむだけでも決していけないことではないが、その果実を実らせたブラッドレー交霊会、そこへ足を運んだスワッファー、その交霊会に出現したノースクリフの存在を忘れてはならないであろう。そして、そうしたバックグラウンドを知って初めて、本当の意味でシルバーバーチを理解したと言えると思うのである。

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私個人的には、もちろんシルバーバーチの言葉はすばらしいと思うのだが、それよりも【バックグラウンド】の方に興味がある。
つまり、それらに関わった人たちが、いったいどのような体験をし、それによってどのように考え、どのようにして死後の世界を納得したのだろうかということである。
そうしたバックグラウンドを理解することは、先人たちの心霊研究や体験を生かすことになるのではないだろうか。
単にすばらしいとか感動するというだけでは、これまでの単に信じるだけの信仰宗教と何ら変わりはないし、人に説明することはできないし、本当の意味でスピリチュアリズムを理解できたとはいえないと思うのである。

以上、なんだかまとまらなくなってきたが、とりあえず今回はここまでとする。
もしかしたらまた続きを書くかもしれない。
今書いたことは私が現在感じていることであって、数年後には別の考え方に変化している可能性も十分あるので。

<参考文献>

以下にこの記事を書くに当たって参考にしたものをいくつか上げておく。
こういうテーマに興味のある方は読んでみて。

人間個性を超えて 個人的存在の彼方
G・カミンズ著 梅原 伸太郎 訳
国書刊行会

幽霊を捕まえようとした科学者たち
デボラ・ブラム著 鈴木 恵訳
文藝春秋

シルバーバーチに最敬礼―
霊言集を完訳した今、「謎」と「なぜ?」を取っておきの資料と文献で検証する。
近藤千雄 著
コスモス・ライブラリー

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー


投稿者 Dream : 2009年08月16日 21:50

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