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2009年08月15日

霊魂の存続証明(2)

前回は

等々、さまざまな問題によって、霊魂の存在を完全に照明することは非常に困難だということを述べた。

誰もが霊魂の存続を納得する証拠というのは得られないのだろうか?
いったいなぜ決定的な証拠が示されないのだろう?

そんなことを考えていたのだが、先日
人間個性を超えて 個人的存在の彼方(G・カミンズ著 梅原 伸太郎 訳 )』
という書籍を読んだ。

人間個性を超えて 個人的存在の彼方

本題はともかくとして、この本の巻末に
スピリチュアリズム一問一答(梅原伸太郎氏に訊く)
という対談が掲載されていた。

この対談で梅原氏が、上記の問題に関して次のように語っておられる。

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要するに、これらの事情等をひっくるめていろいろ考えてみますと、現在までのところ霊魂存在の問題を科学的な立場で完全に証明するというのは不可能かもしれない。それはなぜかというと、霊界自体にその証明を拒んでいるフシがあるということで、私はそれに意味があると思っているんです。つまり、科学的に完全に証明されるということは、霊魂の存在についてそれを認めないことが不可能になるわけですね。つまりそれを認めることを強制されることになるわけですよ、科学的に。信じたくない人も、あるいは魂がまだその段階に来ていない人も科学的にはそれを信じなくてはならない。ところで、霊的な知識というものは、それを獲得する人間の魂の成長の度合いに応じてというのが鉄則なのですね。このことをマスターとか導師とかいう段階の人々はよく知っています。また誰でもいざ教える立場になれば分かることです。未熟な人間が霊魂および霊界の存在を教えられるとどういうことが起こるかというと、たとえば、中学生がビルの屋上から飛び降りるようなことが起こります。霊界があるならそれもいいじゃないかというような理屈がつけられます。それから裁判のようなものはどうなるのでしょうか。この世で起こることにすべて霊界が関与しているとなった場合には、裁判官は判決を下すことができるでしょうか。交通事故の際、事故の補償をするのは果たして加害者の側であるべきか被害者の側であるべきかも問題になります。真の霊的原因など裁判官に判断できるわけがないからです。そうした場合には霊能者を呼んで来ることになるでしょうか。しかしどの霊能者が一番正しいなどという基準が示せますか。この世の論理が根底から覆されて、収拾がつかなくなる可能性があるわけです。しかし科学が霊媒の存在を確証してしまった以上、裁判官もこれを顧慮せざるをえませんしね。

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これを読んで、私は非常に衝撃を受けた。
というのは、梅原氏がここで指摘されている事件が実際に起こっているという事実があるからだ。

ご存知の方もおられるかと思うが、埼玉県で2006年12月9日、中学2年の男子生徒が、数日前に家族で霊能番組を見た後、10階から飛び降り自殺をした。見つかった遺書では、番組を見た家族から「自殺したら生まれ変わることができない」と言われたことに触れ、「おれは生まれ変わる。もっとできる人間になってくる」と書かれていた。
という事件だ。

ちなみに、この書籍は、1985年に出版されたもので、さらに元々は1984年2月刊の雑誌『たま』に掲載されていたものである。
つまり、この事件が起こる20年以上も前から、霊界の存在を安易に示すことの危険性を、梅原氏が予言というか指摘されていたという事実に興味をひかれた。

また、科学的に完全に証明されてしまうと、この世のシステムが根底から覆されてしまい、混乱を引き起こしかねない。
だから、霊界の側もその点を考慮して、あえて完全に証明しないようにしているのかもしれない。

しかし、「霊魂の存在を科学的に完全に照明することが不可能」ということになると、心霊研究を行う意味がなくなってしまうのではないだろうか?
心霊研究を行うことなど無駄なことなのだろうか?
スピリチュアリズムとは、心霊研究によって霊魂の存在を科学的に証明し、これまでの伝統的宗教のように“単に信じる”という領域を超越し、理性的に納得のいくものにすることが目的ではなかったのか?
そうであるなら、スピリチュアリズムの目的が失われてしまうのではないのか?

と、新たな疑問が次々と浮かんだのである。

そこで、梅原氏は「逆の強制もよくない」と指摘する。

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しかし一方で、逆の強制ももちろんよくないのです。つまり、霊魂が絶対にありえないという強制ですね。唯物論と科学が結びつくとこの型になります。現代の学校教育は暗黙の中にこのルールに則ってなされていますよ。これは魂に対する逆の強制で、それがいかに個人の魂の成長を抑え、傷つけているか計り知れません。魂が霊の認識を必要とする段階が来ても、科学や唯物論の軛(くびき)あるいは伝統的パラダイムがあるためにそれから脱け出せないでいる人が無数にいます。魂にその時が来ても科学がそれを絶対的権威で抑えつける、ある国々では政治的にさえそれを強制される、これは魂の自由の問題としても見過ごすわけにはいきません。

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スピリチュアリズムによってもたらされた霊界通信(霊界に住む霊からのメッセージ)では、
「この世における戦争、貧困、人種差別、病気といった“この世の悲劇”は、“人類が霊的無知である”ことが原因である」
と解いている。
よって、「人類に霊的知識をもたらすことが、これらの悲劇をこの世から駆逐する唯一の方法だ」というのである。
そう考えると、やはり科学的に霊魂の存在を証明し、人間は肉体のみの存在ではなく“魂の存在”なのだということ、そして死後も“霊界”で生き続けるのだという知識を人々に納得させる必要があるのである。
そのためには、まずは科学的照明が絶対必要だということである。

しかし、
“科学的に完全に照明することは不可能”
なのではないのか?
その一方で
“科学的照明が不可欠”
ということになると…
矛盾しているではないか!!
いったいどうすりゃぁいいのだ?

というわけで、今回はここまで!!
(続)

投稿者 Dream : 2009年08月15日 23:34

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