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2006年11月29日

インターネット、この10年

[ Category : 自分史 ]

わしがインターネットにアクセスするようになってちょうど10年になる。
そこで、この10年間の視覚障害者を取り巻くインターネット技術の発展のあらましを、わしの体験とともに振り返ってみたいと思う。

●初めてホームページを見る

わしがインターネットのホームページっちゅうもんに初めてアクセスしたんは今からちょうど10年前、1996年12月のことや。
ホームページ見たいうてもうちはインターネットに繋がっとらんだ。
メールでURL書いて送ったら、自動的にホームページの内容をテキストに変換して送り返してくれるサービスがあったんや。
大手のパソコン通信ネットだった「Nifty-Serve」とか「PC-VAN」などからはインターネット宛てにメールを送ることができたんや。だからインターネットの機能のうちメールだけはできたわけや。

リンクのところは番号が振られとって、下に番号に対応したリンク先URLの一覧が書いてあったんや。リンク先にアクセスするには、再びそのURLをメールでリクエストするわけや。
今やったらクリックすれば見れるのに一々メールでリクエストしとったわけやからずいぶん手間がかかった。

それから、基本的にフォーム入力ができんかった。だから見るだけ。掲示板に書き込んだり、ネットショッピングをしたり、ブログ(当時はそんなもんなかったけど)に書き込んだりとかはできんかった。

それから、PC-VANの「テキストWWWサービス」いうもんも使った。こいつもパソコン通信上でホームページをテキストで見れるサービスや。
リンクには番号が振られとって、番号を入れるとリンク先にアクセスできる仕組みや。
こっちは多少フォーム入力もできた。だからネット検索程度ならそれなりに使えた。
しかしうまく動かないフォームの多くてあまり使いもんにならんかった。
基本的にこの時代はホームページを見るだけの時代やったと思う。

●ホームページ・リーダーの誕生

日本アイ・ビー・エムから「ホームページ・リーダー(HPR)」の1番最初のバージョンが発売されたんは、1997年9月のことや。

それまでにもいくつか音声ブラウザはあった。
例えば、富士通が開発しとった「眼の助(がんのすけ)」やとか、NECが出しとって同社のPC98シリーズのMS-DOS上で動作した「ボイスネット」などがあった。
その他UNIXを使える人は「LYNX(リンクス)」というテキストブラウザを使っとったようだ。

しかし、設定が難しかったり機能的にも問題が多くて初心者が使えるようなものではなかったので、誰でも利用できるものではなかった。

そこにHPRが発売され、本格的に視覚障害者のインターネット環境が整ったといえるやろう。
その意味でHPRが視覚障害者のインターネット普及に果たした役割は非常に大きい。

ただ、わしは当時Windowsの動くパソコンを持っとらんだのでHPRはしばらくお預けやった。
わしがWindowsの動くパソコンを買ったのは1998年4月や。Windows95 OSR2やった。
これを機に、インターネット環境やOCR環境を整えた。
当然HPRも導入した。

ちなみに、当時のスクリーンリーダーは今みたいにインターネットエクスプローラを読んでくれなかったので、どうしても音声ブラウザが必要だった。
うちには95リーダーの1.0、PC-Talkerも1.0がある。

当時のWindows95は今と比較にならんぐらい不安定で、しょっちゅうエラーが発生した。
スクリーンリーダーも読んでくれんところが多かった。
使えるソフトも少なかった。
HPRも今のバージョンとは比べものにならんぐらい使いにくかったし、機能も少なかった。

ちなみに、MMメールが公開されたんは1999年1月や。
わしはそれまでHPRに付属の「ホームページ・メーラー(HPM)を使っとった。
もっとも、まだパソコン通信も現役だったので、Nifty-Serveからメールすることが多かったが。

●ホームページ作成

わしが初めてホームページを作ったんは、1998年5月や。
一応ホームページの開設日を、1998年5月五日にしてある。
インターネットに繋がってたった2週間あまりでホームページを作ったんや(笑)。

もちろん、それまでにメールやテキストWWWサービスでホームページを見ていたことが影響している。
「インターネットに繋がったらぜったい自分のホームページを作る」
そう決めてあったから予定どおりともいえる。

HTMLなんて大して知識もなかった。とりあえずタイトル付けたり、改行したり、リンク貼ったり、それだけ覚えて作った。
今でもその頃作った部分が残っていて、HTML見たらかなり文法がめちゃくちゃや(笑)。

●「視覚障害者のウェブアクセスを考える会」

なんか知らんけど、1999年3月頃「視覚障害者のウェブアクセスを考える会」ちゅう団体に参加しないかというお誘いを受けた。
交通費も食事代もホテル代もIBMが出してくれるという。
なんかよくわからんけどお誘いを受けるまま参加してしまった。

どうやら、視覚障害者のウェブアクセシビリティの普及活動をする団体のようである。
でも、当時のわしには「ウェブアクセシビリティ」というのは何のことやらさっぱりわからんかった。
実をいうと、画像のAlt属性というのも何のことやら知らんかったのだ!!

こんな感じやったので、仕事もろくにできんかったし、ちっとも役に立たんかった。

わしは2000年6月で、この団体を首になった((^^;))。
「メンバー入れ替え」っていわれたけど、本当は首だったような気がする。
さっき書いたような状況だったから仕方ない。

わしが抜けてからメルマガの発行などかなり精力的に活動していたようだが、今は活動休止中だと思う。
そこのサイト紹介しようか思てアクセスしてみたら、なんと繋がらなんだ。閉鎖したみたいや。

ところで、このとき、HPR2.5の試作版を見せてもらった。
最初の1.0に比べて不要な部分を読み飛ばす機能だとかフレーム表示のページの閲覧機能がずいぶん使いやすくなるなどいろいろと改善されていた。
アメリカのHPRモニターテスト用のメーリングリストにも参加させてもらって、HPRのモニターテストもさせてもらった。もっとも、英語でちっともわからんかったけど(苦笑)。
ちなみに、HPR2.5が発売されたんは、1999年9月17日や。わしが試作品見せてもろーて半年後ぐらいやな。

それから、これがきっかけで富山でHPR講習会を開くことになった。
全国でやっているHPR講習会を富山でも開かないかといわれて、わしが関わりを持っとった地元の団体と協力して、IBMから講師の方をお招きして、2000年3月26日に富山でHPR講習会を開いたんや。

長くなったので一端ここで切ることにする。続きは今度。
(続く)

投稿者 Dream : 2006年11月29日 21:43

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