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2007年06月06日

ピアニスト羽田健太郎

[ Category : 音楽 ]

ピアニストの羽田健太郎さん死去

2007年6月2日、午後11時53分。
私の尊敬する、ピアニストで作・編曲家の羽田健太郎さん(ハネケンさん)がこの世を去られた。享年58。

私がハネケンさんを初めて知ったのは、15・6年前のことである。NHK教育テレビでやっていた、服部克久の『ピアノでポップスを』に出演されていたのを拝見したのがきっかけだ。
あのピアノが壊れるのではないかと思われるほどの恐ろしくパワフルでちょっとアバウトな感じのハネケンさんの演奏に魅了された。
「自分もあんな迫力ある演奏がしてみたい…」
密かにあこがれた。

ポピュラーピアノに興味を持ったのもちょうどこの頃だ。いや、ハネケンさんの影響で興味を持ったのかもしれない。

ハネケンさんの出演される番組をかなりの頻度でチェックしていた。

ハネケンさんが編曲されたピアノ譜も何曲か持っている。

また、ハネケンさんの著書も読んだことがある。
羽田健太郎(ハネケン)のピアノ初めて物語―海を渡った幻のメロディ・ロマン紀行
というタイトルの本だ。

浜松にあるピアノ工場や楽器博物館の話、日本で初めて作られたピアノの話や、ピアノが日本に初めて持ち込まれた話など興味深いものだった。

また、この本の冒頭に、取材のためにわざわざ富士山の頂上にピアノを上げて、富士山の下のバイオリンだったかチェロだったか忘れたけどテレビカメラとマイクを通してアンサンブルした話があった。
あんなでかくて重いもんをわざわざ富士山の天辺まで運ぶとは…、スタッフも大変だっただろう。
富士山の上と下でアンサンブルするのなら、軽い楽器の方を上げた方が楽なのにね。

それから今から150年以上もまえに外国から日本に船でピアノを運ぶのも大変だっただろう。

「だれが、どこから、いつ、どんな目的でピアノを日本に持ち込んだのか…?」
それは本を読んで確認してね!!
ちなみに、この本の点訳データはナイーブネットにあります。

さて、この記事を書くに当たってハネケンさんのことをと調べてみてわかったことで印象に残ったことを書いてみたい。

シンガーソングライター渡辺真知子のバックバンドのリーダーを務める

1978年から1980年頃はシンガーソングライター渡辺真知子のバックバンドのリーダーを務めていたことがあるそうだ。彼女の初期のアルバムでピアノを弾いているのが羽田その人である。

渡辺真知子の曲で私が好きだった曲

『迷い道』
『かもめが翔んだ日』
『唇よ、熱く君を語れ』

う~ん、懐かしいなぁ!!あのピアノがハネケンさんなのかな。
ファーストアルバムからサードアルバムまでハネケンさんが参加されているみたいなのできっとそうだろう。
特に『迷い道』のピアノがハネケンさんらしい感じがして好きだ。

この世を去られたのは非常に残念であるが、きっとあの世でもピアノを演奏されることだろう。
(霊界通信によると、あの世で音楽を楽しむそうだし、ピアノもあるそうだ。)
ご冥福をお祈りする。

羽田 健太郎 (はねだ けんたろう

1949年1月12日 - 2007年6月2日) は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。通称、ハネケン。劇伴音楽を多く手がけた。2000年4月から2007年5月までテレビ朝日の音楽番組『題名のない音楽会21』の司会を務めた。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

●参考にしたサイト

羽田健太郎オフィシャルホームページ
羽田健太郎 - Wikipedia






投稿者 Dream : 2007年06月06日 18:47

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