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2005年09月30日

死後の世界の科学的証明

『週刊福祉情報』とかいうメールマガジンでうちのブログの記事に関するコメントがあったようなのでそれについて書いてみたいと思う。

それは『聴覚障害の娘さんを持つお母さんからのメール』に対するコメントである。下記のページでそのコメントが参照できる。
まぐまぐ - 週刊福祉情報

以下それに関してコメントする。

まず、コメントの内容はこの世の道徳的視点においてはそれなりにもっともな意見だと思う。しかし私はここで障害者問題をこの世の物質的支店で考えようとは思っていない。人間が永遠の存在である霊的視点から障害者問題をとらえてみようというのがこのスピリチュアリズムのカテゴリの目的だ。

さて、私を「宗教信仰者」だと思っておられるようであるが、これまで宗教などに興味はないことは何度も強調してきたつもりだ。そもそもスピリチュアリズムは宗教ではない。生まれる前の世界や死後の世界、霊界、あの世…このようなテーマは宗教だけが扱う問題だというのは偏見である。

私にとって死後の世界は信仰の問題ではなく事実かどうかが最大の関心である。よって、もし死後の世界というものがなく、生まれる前に自分でその体を選んで生まれてきた…というのが事実でないとすれば例の意見は全て撤回する覚悟がある。

しかし、これまでスピリチュアリズム関連の書籍などを読んで感じたのは、どうやら霊界は実在するらしいということである。19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけて多くの科学者たちが死後の世界の実在を研究し、実証しているのである。その科学者たちの名前を何人か挙げるとすると

  • 「ウィリアム・クルックス(クルックス放電管の発明、タリウム元素の発見者)」
  • 「リシェ」(ノーベル生理学賞受賞)」
  • 「オリバー・ロッッジ」

などである。また、「コナン・ドイル(『シャーロック・ホームズ』の作者)」はスピリチュアリズムの普及に大きく貢献した人であるし、元アメリカ大統領「リンカーン」が霊界通信に興味を持っていたというのは有名な話である。

どのような実験を行い、なぜそれを証明できるのか…などについて知りたい方は『スピリチュアリズム入門』などの書籍を読まれるといい。(こちらのページに『スピリチュアリズム入門』の全文が掲載されている)

それでは「おまえは霊界があると思っているのか?」と聞かれると、残念だが「あるような気がしてきたけど確信が持てない」としか答えようがない。そこへいくとシルバーバーチの霊媒であるモーリス・バーバネルはご自身の著書『これが心霊(スピリチュアリズム)の世界だ―果てしなき生命』の前書きで

「少なくとも私自身には死後の生命の存続が一点の疑惑の余地もないまでに立証されているからである。それは決して願望が生み出す手前勝手な信仰の産物ではない。」

と述べている。さすがである。私には残念ながら心霊的体験もないし、もちろん出生前の記憶もない(出生前の記憶はバーバネルもないといっているが)。だからいまいち確信が持てないことは認める。

食べられないおはぎって?

ところで先日お彼岸に母親が、なくなった父親にと仏壇におはぎをお供えしていた。そこで私はちょっとからかってやろうと思って
「おはぎなくならんね(おはぎなくならないね)。お父さんはおはぎ食べんがかな(お父さんおはぎ食べないのかな)。」
といってやった。すると母親は
「死んだもんな食べるか(死んだものが食べるか)!!」
といったので
「食べんがにどうしておはぎなんかお供えすんが?(食べないのにどうしておはぎなんかお供えするの?)」
と聞いたら
「気持ちやにかいね(気持ちでしょう)!!」

気持ちねぇ。それ以上突っ込むのは止めにしたが、私には「気持ち」というより「気休め」という方が適切だと思った(笑)。

考えてみていただきたい。友人や家族があなたの好きな食べ物を買ってきた。「あなたの好きな食べ物を買ってきたよ」といってそれを見せてくれた。ところがその後、友人やあなた以外の家族はみんなでそれを全部平らげてしまいあなたに一切れもくれなかった…

あなたはそれで喜ぶだろうか。私なら喜ばない。「俺のために買ってきてくれたんなら食べさせろ!!」という。

お墓や仏壇にお供えするおはぎや果物もこれと同じではないだろうか。本人が食べられないと分かっているのに本人のためにお供えするのだ。常識で考えたらおかしいと思わないのだろうか。疑問を持たない方がおかしいのである。

ところが、ほとんどの人がこのようなおもしろい行動をしている。「みんながやるからうちも」というわけである。日本人の典型的パターンだ。それがおかしいかどうかは考えないのだ。

霊界は実在するのか?

そこで「死後の世界、霊界は実在するのだろうか?」という疑問がわいてくる。人は死んだらどうなるのか。この宇宙から消えてなくなってしまうのだろうか。あの世など存在しないのだろうか。

我々が目に見えないから、手で触れられないから、声が聞こえないからといって「霊界など実在しない!!」と言い切れるだろうか。例えば私は目が見えないので、夜空に輝く星々や月が見えない。私にはそれは「ない」のと同じである。それでは星や月は存在しないのだろうか?

いや、存在するようである。周りの晴眼者がそういっているからあるのだろう。目が見えていれば星や月が見えるのである。自分が見えないからといってないわけではない。

五感が全てだと思うのも間違いである。例えば全盲の人だけが住んでいる国があったとしよう。そこの国の人々は他の国の人々と交流したことがない。そうなるとそこの人々はそれが当たり前だと思うはずである。

ところがそこへ他の国から目の見える人がやってきた。星や月、光、色…。これまで自分たちは存在しないと思っていたものがあるという。驚くはずだ。「きっとこの人はきちがいに違いない」、「悪魔だ!!」そう思うであろう。

霊界も実はこれと同じようである。我々には分からないが霊界は確実に私たちの周りに存在するようだ。

しかし、そこであなたはこういうに違いない。
「それじゃぁその証拠を見せろ。霊界を見せてくれ!!」

しかし、残念!!霊界を見せることはできない。私に星や月を触らせてくれることができないのと同じである。もっとも最近では星から発せられる電波を音に変換するなどということも行われているようであるが…

しかし、条件が整えば地上と霊界とで通信を行うことが可能なのである。死んであの世にいった人たちと通信することができるのである。これを「霊界通信」という。これにより我々は死後の世界のことを驚くほどリアルに知ることができるのだ!!

地上で遠く離れた人と通信するには電話機や無線機などを使う。また放送を伝えるのにテレビやラジオといった機械を利用する。

霊界通信であの世とこの世の通信を行うには「霊媒」と呼ばれる霊的能力を備えた人間を通して行う。霊媒のタイプや霊界通信の仕組み等については長くなるのでここでは省略する。興味のある方はこれまでに紹介してきた書籍等を参考にされるといいだろう。

ただ、霊界通信には問題があるようだ。この世には多くの霊界通信があるのだが、95%以上が偽物か全く価値のないものなのである。

それでは、本物と偽物をどうやって区別するのかということになるのだが、これは非常に難しいことだ。ここで簡単に説明できるようなレベルのものではない。というか、恥ずかしながら私自身もよく分からない。本物のダイヤと偽物のダイヤがシロートには簡単に区別できないのと同じである。長年心霊研究を行っている専門家ですら簡単には区別できないほどなのだ。

しかし、多くの研究者や専門家の間で絶賛されているのが

  • シルバーバーチの霊訓
  • モーゼスの霊訓
  • アラン・カルデックの霊の書

である。この三つが内容の深さ、思想的スケールの大きさという点で「世界3代霊訓」と呼ばれている。ちなみに私は現在のところシルバーバーチ以外は読んだことがない。

ちなみにテレビなどに出ている霊能者の多くは偽霊能者か、低級霊にとりつかれているか、程度の悪い霊能者と見て間違いないと思う。テレビで世俗受けするような安易なことをいうような霊能者にまともなものがいるとは考えにくい。霊的真理を知ることによってこの世の霊能者を上から見ることができるようになるのである。

このような偽霊能者がマスコミで取り上げられもてはやされている以上、心霊的なものは世間から怪しい目でみられても仕方ないのかもしれない。しかし、偽物があるということは本物もあるはずだ。
(参考:本物の霊能者とニセ霊能者の見分け方

さて、ようやく『聴覚障害の娘さんを持つお母さんからのメール』の話に戻るのだが、ここでメールを送ってきてくださった方は上記の『シルバーバーチの霊訓』を愛読されている方なのである。これを読んで感じたことを素直にメールしてこられたのだ。まずはその背景をご理解いただきたい。

シルバーバーチは三千年前にこの地球上で生活した霊だそうだ。ちなみにシルバーバーチというのは仮の名前で、地上時代の名前などは本人が最後まで明かさなかったので分かっていない。

シルバーバーチは三千年の生活で得た教訓を地上の人間に伝えるために、霊界の上層部から指令を受けて戻ってきたのだそうだ。だからそれからなにかを学び取ろうというのが例のメールである。

「本当かよ!!やっぱり怪しいな。」

多分そう思っただろう(笑)。そういう方にはシルバーバーチの以下の言葉を送ろう。

「あなたの理性が納得するまで疑ってください。ただし真摯な態度で……」

もし本当かどうか確かめてみたいと思われるのなら、とりあえずここで紹介している書籍等を読んで、そこに書かれていることが事実かどうかご自分で考えてみることをおすすめする。そんなことには興味はないと思われるのなら別にそれでもいい。あなたには自由意志があるのだから強制はできない。当たり前だ。

私は障害が不幸だと思うかどうかはどちらでもいいと思っている。自分の気持ちに正直であればいいと思う。そんなこととよりこれからどう生きるかが重要だ。

障害者が生まれることと、戦争や飢餓の問題が関係あるかということになると、私にはそういえるだけの確信はない。一応そういう考え方もあるのかな?と思ったので「その可能性もあるかもしれませんね」とお返事した。

コメントいただいた方は「環境問題や戦争反対の社会運動をするかどうかとは、まったく違う次元のことです。」とおっしゃっているが、障害者が戦争反対運動などに関わるべきだとまではいっていない。そもそも戦争はなぜ起こるのだろうか?戦争は国通しの喧嘩だ。突き詰めていけば、他人を押しのけてでも自分たちの国に利益をもたらしたいという利己主義から発生していると思う。だから、自分たちとは異なる国や立場の人々とのことも考え、他人を思いやる。地球上にはいろんな民族や国の人、健常者もいれば障害者もいる。だから障害者を通して他人を思いやることを学んだ方がいいのではないか…というのが意図だと思う。

しかしこれは一つの考え方だ。「そうだ」と断定しているわけではない。だから「次元の異なる問題だ」とおっしゃるならそれもいい。100人100葉、ご自分で判断されるがよろしい。いつか真実が分かる日がくるはずである。

というわけで、単なる身勝手な信仰心や願望で書いているのではなく、科学的に立証された霊的事実に基づいての意見を書いているのだということだけは知っていただきたい。真実が全てなのだ。手前勝手な信仰なら食べられないおはぎを与えることの方がよほど手前勝手だと思うのだが(笑)。

おまけ!!

「お墓や仏壇におはぎや果物、お花などをお供えするのは意味があるのか…?」

正直言って食べられないものをお供えしても意味がないと思う(笑)。お墓にその人が眠っているなどというが事実ではない。そこにはその人はもういないのだ。あるのは死体、抜け殻だけだ。蝉の抜け殻、小鳥の卵の殻に餌をやったら蝉や小鳥が喜ぶか!!

が、気持ちの問題はある。霊界では気持ちがストレートに伝わるので、地上に残されたものがその人を思い、お墓参りや好きなものをお供えしてあげればその気持ちは伝わる。

だけどお盆だから、お彼岸だからとただ適当にするだけでは意味がない。それなら時間の無駄だからやらない方がいい。要は心がこもっているかどうかが問題なのだ。それを分かった上で「気持ち」というのなら確かに伝わる。

逆に言えば、別にわざわざお墓などにいかなくてもいい。自分の家で静かにして、その人のことを思うだけでいい。お寺や教会などといった宗教的な建物も不要である。

「そんなこといったらたたりが怖いよ!!」

じゃぁ行ってきたら?そして食べられないおはぎや果物でもあげてくればいい。あなたの宗教や風習まで変える権利は私にはないんだから…

「Dreamさんのいうとおりにして、もしたたられたら責任をとってくれるのですか?」

え、私が責任取るの…?それはちょっと…

投稿者 Dream : 2005年09月30日 19:50

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コメント

「指令を受け手」の「手」をひらかなの「て」に直してください。

投稿者 アラム : 2007年04月01日 07:57

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