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2007年01月30日

事件から学ぶ

[ Category : その他 ]

【発掘!!あるある大事典2】、打ち切りになっちゃいましたね。
まあこんなことがあっては続けるのは無理ですね。

今回は取材陣が追い込まれて偽のデータを利用したということらしいです。
確かにこれは視聴者を裏切る行為であり許されるべきことではありません。

ただね、取材するのも大変だと思うんですよ。

私は6年ほど前に、NHK金沢放送局製作の【ナビゲーション】という番組の取材に協力したことがあるんです。
このときのテーマが視覚障害者のIT利用についてで、視覚障害者がIT機器をどのように活用しているか、そしてどのような問題があるかという趣旨のものでした。
問題というのは、例えば読めないホームページがあって困ってるとか、パソコンを使いたいけど教えてくれる人やサポートが受けられない人がいて困ってるとか、音声で使えないソフトがあって困ってるというものです。

番組の取材は放送の3ヶ月ほど前から行われていたようです。こちらに連絡が来たのは放送2ヶ月ほど前でした。
担当のディレクターの方が私のホームページを見つけられて
「今視覚障害者のパソコン利用についての問題を取り上げる番組を製作しているんだけど話を聞かせてくれないか」
という申し出があったので協力させていただきました。

私自身がテレビに映ったのは本の1分もなかったんですけど、あれだけの取材のために朝9時頃から夕方5時頃まで1日中カメラを回してたんですよ!!しかもサポート先の友人に犠牲になってもらってまで。

またディレクターの方とも何度もメールのやりとりをしました。そのディレクターの方は私とそんなに年の変わらない若い方だったんですけど、時々愚痴をこぼしてました。
「うちの上司はうまくいかないとすぐ『なんとかしろ!!』とさじを投げる」

音声で使えないページとかソフトなど事例を教えてくれというんですが、そんなの急にいわれてもなかなか出てこないです。

いや出てこなくもないんだけど、特定の企業のページを「このページは視覚障害者に配慮されていません」なんてテレビで紹介するわけにはいかないでしょう。あくまでも一般的な問題として取り上げるべきであって、特定の企業を批判することが目的ではないからです。テレビで放映することによってその企業のイメージをダウンさせるようなことは避けなければなりません。

だから行政や自治体などある程度公共性の高いページに限定されてしまうんです。

しかも、そのページが視覚障害者にとってどのようにわかりにくいのかを視聴者の方にわかるように説明しなければならないんです。
視聴者の方のほとんどが視覚障害者がパソコンを使っているなんて夢にも思わない人たちばかりです。そういう人たちに番組の枠内でわかるように伝えなければならない。

こういった制約の中から具体例を挙げなければいけないんです。

なかなか難しいですよ。こっちが「このページはどうだろう」って出しても、「いや、それはちょっと映像として使えない」とか「わかりにくい」などといわれて却下されるケースが多かったです。

「そんなこといわれたら放送で使えるページなんてないねぇ」

でも私はラッキーでした!!どこの企業イメージも傷つけず、しかも比較的わかりやすいページがあったからです。
それは、このページです。

「わかりやすいページ」と「わかりにくいページ」の例

HPR2.5用の実験サイトとして作られているので内容的に古いのですが、画像リンクを読まないことなど確かめられると思います。

このページ、私がインターネットラジオで音声読み上げの実験をしたいからといって、【バリアフリーWebデザインガイド】のHiroさんにお願いして作ってもらったページで、音声でわざと読みにくく作ったページと、それを読みやすく改良したページがあります。二つを比較することでどう違うのかがわかるのです。

このページはなかなかの公表で、テレビでも使いましたし、KNBラジオでも使いました。取り上げられている団体は架空のものなのでどこの団体・企業のイメージも傷つける心配がありません。

話を戻しましょう。

私はこの取材協力を通じて、テレビの番組製作にはいろんな制約があることを経験することができました。

さて、今回のあるあるの納豆問題。どのような状況で捏造が行われたのか詳細はわかりません。いろいろいわれていますが本当のところは関係者しか知らないでしょう。ですからあくまで推測でしか書けません。

ですが一説によると「スタッフが追い詰められてやった」とのことです。

なんかこの「追い詰められた」っていうの、わからなくもないんですよ。先に紹介したナビゲーションのディレクターのように上司や幹部から
「なに?『実験の結果ダイエット効果が出なかった』だと?視聴者はダイエットを求めているんだ!!なんとしてでもダイエット効果を出さなければならん。なんとかしろ!!」
などといわれれば追い詰められもするでしょうね。

人間、せっぱ詰まったら何をしでかすかわからんもんですよ。

「信号無視はいけません」なんていってたって、大事な仕事に遅刻しそうだ。1分1秒でも早く行きたい。今目の前の信号は赤である。本来なら渡ってはいけない。が、車も人も通っていない。
さて、こんな状況でまじめに信号が青になるまで待てる人はどのぐらいいるでしょうか?

「信号青になるまで1分もかかる。はよ行かんにゃ間に合わん。え~いどうせ誰も居らんし渡っしまえ!!」
って無視しちゃったりしませんか?

「いや、自分はなにがあろうとぜったいルールを守る。どんなに急いでたって信号が青になるまで待つぞ!!」
って自信を持っていえますか?そしてそれを実践できますか?

悪いことはいけない。ルールを守れ。
みんなそういいます。また今回のような事件が起きればみんな批判します。

でも本当に追い詰められた状況で冷静に正しい判断ができる人はいったいどのぐらいいるのでしょうか?自分が同じような状況に置かれても正義を貫き通せますか?

「信号が赤でも事故にならなければいいんだ」
批判してる人間というのは、自分が同じような境遇になれば、たいてい自分の行為を正当化したりするものです。

「テレビ局が悪い」
「裏切られた」

気持ちはわかります。またそういうものを正当化するべきではないし、批判して意見を述べることも大切です。

いうのは簡単です。誰にでもできます。
でも、それを自分自身の問題としてとらえられる人はどのぐらいいるのかと思うのです。

今回の納豆事件。

「スタッフを首にしました」
「役員の給料を言及しました」
「番組を打ち切りました」

それだけで解決になるのかな?

番組製作の方針に問題はなかったのか?
もし実験が期待通りの結果にならなかった場合の代替策は考えられていたのか?
上司や幹部、番組制作現場において担当スタッフを追い詰めるような状況を作っていなかったか?
...

そういったことを見直さない限りまた同じ事件が起きてしまいます。

「どこどこのテレビ局が悪い、製作会社が悪い」
と批判するだけでなく、根本的なところを見直さなければならないと思うのです。

また我々視聴者の側も情報の利用の仕方を見直さなければなりません。
テレビで効果があるといってたからってすぐに飛びつくのはどうでしょうか。
「納豆さへ食べれば痩せられる」なんて、楽してダイエットしようとしてませんか?
仮に納豆にダイエット効果があったとしても、安心してその分他のものを食べ過ぎちゃったら太るのでは?

楽していい思いをしようなんて思ってるからそんなものに引っかかっちゃうんですよ。

やはりどんな情報も自分でぎんみしてかからないと駄目ですね。
仮に他の人には効果があっても、必ずしもそれが自分自身にも当てはまるとは限らないのです。人それぞれ体質が違うのですから。

毎日いろんな事件が報道されていますが、それにはいろんな教訓が含まれています。
「恐ろしい世の中になった」
「テレビも信用できん」
そうやってただ人ごととしてみるのではなく、自分自身の問題としてとらえる必要があると思うのです。それが事件から学ぶということであり、ニュースが自分の成長に生かせるのではないか。

最近そんなことを感じました。

投稿者 Dream : 2007年01月30日 19:16

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